流れに身を任せて流れたら。。。。。。

日々、気になったことを思うがままに気ままに書き綴っています

流れに身を任かせて流れたら。。。

『聖徳寺の会見』って何?

 

今回の『麒麟がくる』は、

『聖徳寺の会見』。

 

わぁ!

岡村さん(笑)

 

一瞬、コントに見えた(笑)

 

やっぱり、岡村隆史さん可愛い♪

嫉妬して邪魔をしている

岡村隆史さんが可愛すぎる( *´艸`)

 

 

で、気になる『聖徳寺の会見』に

戻ろう!

 

『聖徳寺』は、『しょうとくじ』と読む。

『聖徳寺』は、

愛知県一宮市冨田大堀413-5にある。

 

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すごい!

『聖徳寺跡』という

バス停があるんですね。

 

 

『聖徳寺の会見』は、

天文22年(西暦1553年)4月下旬のこと。

 

『四月下旬に斎藤道三が、信長

 富田の寺内町聖徳寺まで出向くので対面したいと

 申し出をした』

 

この時信長は19歳。

 道三の娘・濃姫正室に迎えていたけれど、

 その父親である道三とはまだ会ったことはなかった)

 

で、なぜ、斎藤道山は

織田信長に会いたいと思ったかと言うと、

周囲の人間が皆、

織田信長を『うつけもの(大バカ者)』と

馬鹿にしていたため、

不安になったからなそうです。

 

斎藤道山に会うため、

聖徳寺に向かっていた織田信長の服装は、

とんでもなくひどかったらしいのですが、

会見の場に現れた織田信長

きちんと正装していたそうです。

 

実際に織田信長に会い、

斎藤道山は、

『いずれ、斎藤家は織田家の臣下になる』と

言っていたらしいのです。

 

そして、その日を境に、

斎藤道山の前で

織田信長を『馬鹿者』と言う人は

いなくなったそうです。

 

斎藤道山は、

稲葉山城(後の岐阜城)に住んでいた。

 

美濃の義父・斎藤道三

尾張の娘婿・織田信長

 

『美濃は、現在の岐阜県南部』。

尾張は、現在の愛知県』

三河は、現在の愛知県東半部』

 

 

ところで、

『じゅうべい』って誰?

 

私が知っているのは、

柳生十兵衛』なんですが、

この人は確か、江戸時代の人。。。

 

ん??

誰???

 

あ!?

明智光秀』のこと???

明智十兵衛光秀』???

 

へぇ、、、

明智光秀』の別名(通称)が

『十兵衛』だったんだ。。。

 

もう名前だけで大混乱です(;・∀・)

 

あれ?

気が付いたら、

『お方様』と呼ばれている女性が

河原で倒れているではありませんか!

 

どうしたの???

 

そして、

調べているうちに

終わってしまったのでした。。。。。

 

あぁ、、、

私、本当に日本史、

記憶に残ってないんだな。

 

 

来週も観よう!!